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2017年8月26日に,千葉県印西市の道作古墳で現地説明会(発掘調査現場の見学会)があり,参加してきました.
 
2017年8月26日に,千葉県印西市の道作古墳で現地説明会(発掘調査現場の見学会)があり,参加してきました.
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歴史広場全景.普段から自由に見学できるようになっているようですが,掘削したところを見学できるのはこの機会だけ.左の大きな墳丘が,今回調査が行われた1号墳,その右隣に見える小さいのが,5号墳と4号墳です.
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歴史広場全景.普段から自由に見学できるようになっているようですが,掘削された状態を見学できるのはこの機会だけ.左の大きな墳丘が,今回調査が行われた1号墳,その右隣に見える小さいのが,5号墳と4号墳です.
  
1号墳は前方後円墳で,トレンチが掘られているこちら側が,後円部だそうです.
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1号墳は前方後円墳で,トレンチが掘られているこちら側が後円部です.
 
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後円部のトレンチに近づいたところ.土の色が,奥の方が黄色っぽくて,手前の方が黒っぽくなっていますが,黄色い土がもとの地層の色で,黒っぽい土は,周溝が掘られた上に,後の時代の土が積もったものだそうです.この色の境を追っていくと,古墳と周溝の詳細な形を調べられます.
 
後円部のトレンチに近づいたところ.土の色が,奥の方が黄色っぽくて,手前の方が黒っぽくなっていますが,黄色い土がもとの地層の色で,黒っぽい土は,周溝が掘られた上に,後の時代の土が積もったものだそうです.この色の境を追っていくと,古墳と周溝の詳細な形を調べられます.
  
また,このトレンチからは埴輪が出土しており,造成当時には,古墳の周辺に埴輪が並べられていたと考えられるそうです.
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また,このトレンチからは埴輪が出土しており,造成当時には,古墳の周辺に埴輪が並べられていたと考えられています.
 
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後円部墳頂の石室です.3枚の分厚く大きな石でふたがされており,かなりの権力者だそうです.盗掘はされていないようですが,石の位置が1枚だけ少しずれており,追葬の可能性があるそうです.
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後円部墳頂の石室です.3枚の分厚く大きな石でふたがされており,石の大きさから,かなりの権力者だと推測されています.石は筑波石で,造成当時,近くまで迫っていた香取海を利用し,舟で運んできたと考えられます.盗掘はされていないようですが,石の位置が1枚だけ少しずれており,追葬の可能性があるそうです.
 
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出土した埴輪.表面に筋が入っているのは,下総型埴輪と呼ばれるこの地域特有のものだそうです.今回やそれ以前の調査による出土遺物や石室の形式などから,この古墳は6世紀中頃か後半に作られたものだと推測されています.当時,この地域は香取海に面しており,物流や軍事の拠点として栄えていたのかもしれません.
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出土した埴輪.表面に筋が入っているのは,下総型埴輪と呼ばれるこの地域特有のものだそうです.
 
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前方部の地表にあったという装飾品.耳環と書かれていますが,この小ささだと耳環ではないかもしれないとおっしゃっていました.
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前方部の地表にあったという装飾品.耳環と書かれていますが,この小ささだと耳環ではないかもしれないとのことです.
  
装飾品は棺の中に入れるのが普通なので,これが地表にあるということは,すでに盗掘された後である可能性が高いそうです.先ほどの後円部墳頂の石室は盗掘されていなかったので,それとは別の場所に別の人が埋葬されていて,そちらは盗掘されてしまった,ということでしょうか.
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装飾品は棺の中に入れるのが普通なので,これが地表にあるということは,すでに盗掘された後である可能性が高いそうです.先ほどの後円部墳頂の石室は盗掘されていなかったので,それとは別の位置に別の人が埋葬されていて,そちらは盗掘されてしまった,ということでしょうか.
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今回の調査では後円部の石室が確認されましたが,盗掘されていないことが確認されたため,文化財保護の観点からこれ以上の調査はせずに埋め戻されるそうです.
 
今回の調査では後円部の石室が確認されましたが,盗掘されていないことが確認されたため,文化財保護の観点からこれ以上の調査はせずに埋め戻されるそうです.
  
 
また,前方部はレーダー探査の結果,石室らしいものはないことが確認されており,発掘調査はしていないそうです.
 
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2017年9月2日 (土) 07:08時点における最新版

2017年8月26日に,千葉県印西市の道作古墳で現地説明会(発掘調査現場の見学会)があり,参加してきました.


DSC00599.JPG

歴史広場全景.普段から自由に見学できるようになっているようですが,掘削された状態を見学できるのはこの機会だけ.左の大きな墳丘が,今回調査が行われた1号墳,その右隣に見える小さいのが,5号墳と4号墳です.

1号墳は前方後円墳で,トレンチが掘られているこちら側が後円部です.

DSC00572.JPG

後円部のトレンチに近づいたところ.土の色が,奥の方が黄色っぽくて,手前の方が黒っぽくなっていますが,黄色い土がもとの地層の色で,黒っぽい土は,周溝が掘られた上に,後の時代の土が積もったものだそうです.この色の境を追っていくと,古墳と周溝の詳細な形を調べられます.

また,このトレンチからは埴輪が出土しており,造成当時には,古墳の周辺に埴輪が並べられていたと考えられています.

DSC00585.JPG

後円部墳頂の石室です.3枚の分厚く大きな石でふたがされており,石の大きさから,かなりの権力者だと推測されています.石は筑波石で,造成当時,近くまで迫っていた香取海を利用し,舟で運んできたと考えられます.盗掘はされていないようですが,石の位置が1枚だけ少しずれており,追葬の可能性があるそうです.

DSC00583.JPG

石室の側面が少しだけ見えます.

DSC00584.JPG

1号墳の上から見た5号墳(左)と4号墳(右).5号分は崩れてしまっていますが,前方後円墳だそうです.4号墳は円墳.

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林の向こうに6号墳.

DSC09183.JPG

出土した埴輪.表面に筋が入っているのは,下総型埴輪と呼ばれるこの地域特有のものだそうです.

DSC09185.JPG

前方部の地表にあったという装飾品.耳環と書かれていますが,この小ささだと耳環ではないかもしれないとのことです.

装飾品は棺の中に入れるのが普通なので,これが地表にあるということは,すでに盗掘された後である可能性が高いそうです.先ほどの後円部墳頂の石室は盗掘されていなかったので,それとは別の位置に別の人が埋葬されていて,そちらは盗掘されてしまった,ということでしょうか.

埴輪や石室の様式,以前の調査結果などから,この古墳は6世紀中頃か後半に作られたものだと推測されています.当時,この地域は香取海に面しており,物流や軍事の拠点として栄えていたのかもしれません.

今回の調査では後円部の石室が確認されましたが,盗掘されていないことが確認されたため,文化財保護の観点からこれ以上の調査はせずに埋め戻されるそうです.

また,前方部はレーダー探査の結果,石室らしいものはないことが確認されており,発掘調査はしていないそうです.

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小林駅から道作古墳へ向かう途中にあった鳥見(とみ)神社.境内の石碑に書かれた御由緒によれば,饒速日命が,国を神武天皇に譲り渡した後この地にやってきて定住し,紀元前93年に鳥見神社として祀られた,らしいです.

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本殿の,彩色された彫刻が特徴的です.